2017年2月26日

自分が神だったことを思い出してみよう

人はどうして自分が神だと言わないのだろうか。口に出さずとも心の中では自分は神だったのではないだろうかと思う人はいないのだろうか。

神と言えば人によって宗教によってはイメージが異なる。民族によっては我々文明人がイメージする神とは程遠い神もいるが、大体共通する漠然としたイメージは創造主がふさわしいだろう。
自分のことを創造主だと思う人は先ずまれだが、私は最近ふとしたきっかけで自分が創造主なのだと言うことを口に出して言えるようになった。
神に戻って言い方を変えれば、私は神を卒業した者だと言っても良いかもしれない。
あるいは人間が定義する神以上の存在だと言い直しても良いかもしれない。
あるいは無神論者に対しては、私は宇宙の意思・叡智そのものであると言い直しても良い。
全知全能の神と言うイメージもあるが、何でもかんでも万能となると人の欲まで汲み取ってくれる神やヒーロー的な神もいるだろう。
その対象となるイメージは貴方なりで良いと思う。
貴方がある英雄を神的に崇めていたならそれでもいい。
あるいはある対象を称えていたり、慕うリーダーや教えを請うカリスマ的存在でもいい。チャネラーが引き寄せる宇宙の霊的存在や上の存在でも良いし、救世主であってもよいしマイトレーヤであっても良い。日本人ならさらに天皇でも良い。
そういう場合、貴方はその存在に今なってる、と言いえるだろうか。
あるいはその存在に相応しい自分だと言い切れるだろうか。
もし貴方がそう言うならば、そのとき貴方の感情はどのように動くであろうか。
たいていの人は共通の感情がこみ上げてきて、それを言い出すことが出来なくなっているのではないだろうか。またそう言った試みさえも行なうことはまれで、おこがましく思ってしまのが普通だと思う。
私がここで何を言わんやかというと、神を持ち出したのは一番分かりやすい一般的な例であって、私たち人類はこのような神的イメージを持つことで、有史以来物凄い劣等感を意識の中に植え付けられて来たのである。
私はこの劣等感が人類の霊的成長に蓋をしているのを切実にしかも気の遠くなるほどの時の重みとして感じている。
私は神なのだ。人によっては神の一部でもあり、分身だと言っても良い。そのほうがあなたもだれでも神であり、万物に神の存在が宿っていると言った感じに受け止められる。
こう自分に言い切った瞬間から、自分の中からいままで心の中に触れたことのない劣等意識が浮上してくる。「神にふさわしいことなど出来るはずもなければ、してこなかった・・・。いつもお願い事はしてるけど。。。引き寄せるために波動を上げなくちゃ。。。」
だが、一旦自分が神になってしまうと、願い事などかなうことが当然であるので、神社崇拝や願掛けなどしなくなる。願い事を自分の上の存在に頼むこと自体、自ら出来そうもないという劣等意識の現われであることに気づいてくる。
願っていること、必要なものは自分が気付く前にすでに満たされている。そのことに気付いてくるのである。
また、占いなども必要なくなってくる。なぜなら神は全てがうまく運ぶことになっていることを知っているからである。
もし貴方が神でないとすれば、神以下の様々な劣等意識があなたの中には無数に出来上がっているに違いない。
ただ、その意識は潜在意識の中にあるので普段気付くことはめったにない。ところが、一旦自分が神だったらと仮定し始めると、その劣等意識が浮上してくるのである。
人類は誕生以来アヌンナキと言う古代人類を創造した存在や太古の時代に接触のあった宇宙的存在を崇めてしまった。
とんでもない奇跡を目の辺りにしたり、魔法のような力を見せ付けられたからだ。当の宇宙的存在は人類の霊的成長を阻害する恐れがあるため、アトランティス文明の崩壊以降人類の前に姿を現すのを控えていた。
崇めさせることで人類の意識の中にある種の劣等意識が芽生えてしまうからだ。
この劣等意識は最高の意識状態から人類を分離した最初の一歩だった。
それ以来この分離は神だけでなく社会のしくみにまで浸透し、階層社会を形成することを容易にしてきた。
姿を見せなくなった宇宙的存在=神々に系譜が作られ人類創生の物語が神話として気の遠くなるほど語られるようになってくるころには、チャネラーと称した巫女が神の言葉を伝える特別な存在に崇められ、リーダーや権力を持っている存在を崇め奉るピラミッド型支配構造が社会の中に作られて行った。大衆の劣等意識という心の蓋は数千年、いやもっとそれ以上続いて今日に至っている。
我々が今日思う進化した文明とは、近未来SF映画に出てくるギガンティックな宇宙船や都市のイメージだ。昨今は秘密宇宙プログラム(Secret Space Program)などに関する宇宙情報が、いかに地球文明が取り残され隔離された惑星であるかを伝えている。
だがその内容の中に、我々人類を劣等意識の中に押し留めて置く支配者側による大衆操作の目的があることを読み取らなければならない。

ここで進化した文明とは、我々がイルミナティの監視の下で作られたSF映画で見るような近未来の機械文明ではない。
それらはテクノロジーだけがいびつに拡大されただけの不良品文明であってピラミッド型社会システムの末裔なのだ。
むしろネイティブ・インディアンの社会システムを進化した文明と呼ぶに相応しい。
いずれ我々の社会構造は現在のピラミッド型バビロン金融システムを脱ぎ去り、限りなくネイティブ・インディアンの社会システムに近づいていくだろう。
そこには一箇所に集中して巨大化する都市はどこにもない。
ところどころドーム型の小さな居住空間が寄り集まって点在する農耕型社会が見られる。そこではリーダーと称する代表などすでに必要としない。人々は他人に自分の意志をゆだねたり依存することのない自立し責任のある意識へと進化している。そこでの意思決定は自ずと全体が一致する方向へとスムーズに流れていく社会なのだ。エネルギー的にも物質的にも半径10キロ圏内で全てがまかなえる社会が整えられている。
港と称するところから惑星外へ運行が可能であり、主な目的は自分たちの文明が過去にたどった同じような惑星に対して何らかの援助をするために定期的に宇宙空間に探索に出ている。
先日行なわれたホビット会議で、この私の気付きについて語ったところ、参加者の須藤さんから、同じような気付きをした人が本を出版しており、その場に本を持ち合わせていたので貸してくれた。
今読んでいるが、まさに私が伝えたい内容そのもので驚いている。やはり同じようなことに気付いた人たちが増えてきているのだろう。
ここで私が使った言葉や表現は違うにしても共通するところはあるし、誤解を招かない柔らかい表現で分かりやすく書かれている。ぜひみなさんにも一読してみる価値はあるのでご紹介します。



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